青い鯉のぼりプロジェクト共同代表・千葉秀さんからコメントを頂きました
2021年3月11日に
山本透監督が宮城を訪問したとき
初めてお会いしたのが、
伊藤健人さんと千葉秀さんでした。
その瞬間からこの映画は撮るべくして
走り出したように感じています✨
たくさんのアドバイスや
お力添えを頂き映画を支え続けて下さった千葉秀さんよりお言葉頂きました🎏
下記コメント↓
青い鯉のぼりプロジェクト
共同代表で音楽プロデューサーの千葉秀です。
震災から10年。
あの日大きく自分の中の軸がブレ、街も少しづつ復興し、その心の軸を一つ、また一つ修正してきた頃コロナが世界中を襲いました。
あの震災とは共通する部分も多々ありましたが、大きく違ったのは苦しい者達が手を取り合えない、人の温度(考えてる事)がわからない。エンターテイメントが側にいてあげられない、支える人と支えられる人ではなく世界中が大変。という八方を塞がれた状態、それによる心の孤立、孤独をどうにか食い止めなければ‥と心配する2021年3月11日、毎年命日にスタートする小さな青い鯉のぼりをひっそりと実行委員と住民で掲げている中、山本監督と出会いました。青い鯉のぼりを映画で使い、撮影させて欲しいとその時打ち開けられました。
この映画は震災をクローズアップする映画ではなく、監督を取り巻くエンターテイメント界の仲間たちが同じく八方塞がりの中踠き、苦しみ生きるために夢を諦める者、見えない孤立の中自らの命を断つ者がいる中、弱者である子供たちの大人たちを、地域を、国を、地球を信じていいんだよね?という不安そうな眼差しを見続け、自分を含め塞がった壁の何処かにある未来への扉を開けなければ!と、映画という「船」を作りそこに山本組の乗組員を乗せ青い鯉のぼりを帆にしたい…要約するとそのような(実際の会話とは異なります)話と捉えました。
すごくステキな話だし、聞いているだけで同じような悩み、そして踠く中前に進もうとする方々がいる事を嬉しく思いました。
しかし…
本当に失礼な話ですが一度私たちはお断りをしたのです。
なぜなら私たち青い鯉のぼりプロジェクトにも10年支えてくれ仲間がいて、特に元大曲浜の住人だったあおい地区の方々やいつも嫌な顔せずに作業に加わる太鼓の仲間たちがいてこの活動があります。
監督の「船」に帆としての青い鯉のぼりだけではなく、この仲間たちも乗れなければ、この映画が公開される頃には家族を失った伊藤健人を一生孤独にさせない!と思いを寄せてきた青い鯉のぼりプロジェクトという「船」からたくさんの仲間たちが降りてしまうのではと考えたからです。プロジェクトにも守らなければならないものがあったのです。
そして…
山本監督の悲しい表情も忘れることはできませんでした。
こんなやりとりが年に数件、私どもに来る中、そのほとんどがこちらの意向を抱えきれないまま音信不通になったり、消滅したりしています。だから今皆さんが青い鯉のぼりプロジェクトの活動として見ている先には受ける方々の覚悟と合意があって形になっています。
でも…
山本監督は諦めることはしませんでした。
いろいろ悩まれたと思いますが、たくさんの話を重ね、仲間としてこの船に乗って欲しいと…(実際の会話とは異なります)。
こうして時を重ね、私たちは全面協力(勘違いされてる方もいますがプロジェクトとしてはボランティアです)を約束し、少々定員オーバー気味でしたが(笑)「山本丸」は私たちとその支援してくれる全国の仲間の思いもも乗せて出航したのです。
もうダメだと思っても、諦めず、その困難を溶かしていくのは最後は震災の時もそうであったように、人と人の繋がり、そして温もりだと再認識できる作品になると確信しています。
そんな思いを込めて
エンディング曲のに「船を出せ!未来へ。」と付けさせていただきました。
次は各地の港(映画館)で、コロナも収まり、皆さんとお会い出来るのを今は励みに、新たに深く繋がったこの仲間たちとの撮影期間を早くも懐かしく、そして愛おしく思っています。
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